☆映画にまつわるetc

お世話になりました、ありがとう。

2007年6月30日の今日、大好きな喫茶店が閉店の日を迎えました。
まだ両親が居た頃、モーニングの経験の無い両親と妹を連れて初めて家族揃ってモーニングを食べに行った喫茶店です。
マスターも奥さんもとても気さくで明るくて、居心地が良くて、何より味が良い。
コーヒー大好きの母が美味しい、美味しいとコーヒーを飲み
朝はご飯でなければ嫌だっていう父がポテトサラダをお気に入りになって
ウィンナー大好きな妹が大きなソーセージに大喜びして
コーヒーが飲めなくて紅茶派の私は久しぶりの紅茶の美味しいお店に大喜び
毎週というわけにはいかないけれど、隔週土曜くらいで家族で通ってました。

母が亡くなって3人で
父が亡くなって2人
そして日曜定休のその店は日曜帰省の妹は行けず、ここ1年は私1人で。

1人になってからはほぼ毎週土曜、映画の前にここでモーニングを食べていた。
少し寝坊の時間に起きて、顔を洗って身支度をして、
まだ寝てる頭でお店に入ると明るいマスターと奥さんの
「おはようございます。いらっしゃいませ」
の声が頭の目覚まし。
冬はホットで夏はアイスで、美味しい紅茶を一口飲む度に寝坊頭が冴えてくる。
居心地良くて、うっかり長居で映画の時間を1本遅らせたことも何度かあるかな。

今日、その喫茶店が閉店する。
最後のこの日は妹も一緒に連れて行こうと、今週の妹の帰省は金曜夜~土曜夜にした。
久しぶりのこの店のソーセージに妹は大はしゃぎ。
最後の紅茶は、格別に美味しく感じた。

「ごちそうさま。お世話になりました」
レジで最後の挨拶
「いつもご贔屓にありがとうございました。お元気で」
大好きな奥さんの笑顔
「ありがとうございましたー」
厨房からいつものハリのあるマスターの声。

母はここのコーヒー大好きでした。
父はポテトサラダが食べたくなるとここへ行こうって言ってました。
天国の両親との思い出がここにはいっぱいありました。
とても美味しかった
ここの居心地は森の中みたいに気持ちよかった

今までありがとう、お世話になりました。
マスターも奥様もお体に気をつけてお元気で。


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毎週土曜のビタミン剤

毎週土曜日に映画館へ入り浸ることが出来るようになったのはここ1年くらい。
1999年に母が亡くなり、その頃は妹もまだ障害者施設へ入所していなくて私は仕事と家事の両立に追われていた。
昼夜逆転して真夜中に起き出す妹に何日も徹夜を余儀なくされ、寝不足で疲れきった身体にムチうって仕事に行きつつの家事。
その頃、父が病気退職し無職だったため私の収入が一家の家計を維持していたために休むことはなかなか出来ず、せめてレンタルで映画をと思っていてもその気力は無くなった。
同時にTV番組すら見る余裕もなくなり隙さえあれば仮眠を取るようにしてやっと倒れるのを防いでいた状態。その後、市の福祉課から
「このままではお姉さんの方がつぶれてしまう」
と障害者施設を紹介されて妹を入所させたものの、毎週金曜夜~日曜夜まで帰省してくるため私にとっては休日であって休日ではなく、ゆっくりは出来ない。
それでも、その頃は父がまだ健在で、たまに妹を任せて外出出来ていたものの、母が生きていた頃に比べれば激減していた。
そして2004年に父が亡くなり、ついに毎週末に帰省してくる妹の世話は私が一人でやることになった。
こうなるともう、映画どころではない。
しかも、その頃から仕事が忙しくて、毎日真夜中に帰宅なんてこともザラだった。
平日は仕事に追われ、休日は妹の世話に追われた私は、相当無理を重ねていたのか、
次第に顔色が悪くなり、体重も減っていった。
施設の職員さんがそんな私を気遣ってくれて、金曜夜~日曜夜を土曜夜~日曜夜に変えて自分がゆっくり出来る休日を持ってはどうか?と提案してくださった。
姉妹なのに、私は姉なのに、そんなの薄情なんじゃ?と抵抗はあったものの正直言って限界も近かった。
職員さんの提案に従い、妹の帰省を土曜夜~日曜夜に変更して金曜の夜たっぷり睡眠をとって土曜は朝から映画を見に行った。
それまで溜まっていた疲れがすーっと抜けた気がしました。
それからというもの、毎週土曜は映画で日頃の疲れやストレスを癒しています。
映画は心のビタミン剤。



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未だに完結していない映画

子供の頃、うちは貧乏だった。
父は身体障害6級で働ける所が限られていた。
母は知的障害の妹の世話でまともに働きに行くことが出来なかった。
そんな私が映画を見に行こうと思うと、何ヶ月もおこづかいを貯めなければならなかった。
映画館はバスを2回も乗り換える遠方。
映画代とバス代を貯めるのに半年。やっと見に行ける額が貯まった。
夏休みには子供向けアニメ映画を上映するその映画館へ暑い日中、支度を整え家を出ようとすると、妹がついて行くと駄々をこねた。
いつも妹と行動を共にしていたが、この日はどうしても一人で行きたかった。
しかし、泣き喚く妹を見た母が
「かわいそうだで、連れてってやりや」
と一言。
「やだ!○○はすぐおしゃべりするもん。映画館で静かにできないよッ!!」
私は親に妹のことで逆らった事は無かった。いや、妹のことに限らず、およそ他のことについても逆らった記憶は殆ど無い。
妹に手がかかり、いっぱいいっぱいだった親は私がたまに甘えたり我儘を言うのを嫌ったからだ。
幼い頃より、親の関心を引くのに手っ取り早かったのは『良い子』でいることだった。
『良い子』でいないと嫌われると思い込んで親の顔色ばかり窺って生きていた。
だが、この日は逆らった。嫌だと言った。
途端に母の形相が変わり、
「あんたはお姉ちゃんでしょ!○○をおいて一人で行く気か!!なに薄情なこと言っとんの!○○おいてくならあんたも行っちゃあかんよ!許さんでねっ!!!」
妹が一緒でないと出かけることすら許さない。
そう言われては、頷くしかなかった。
妹をつれていくことを承諾したら、母は上機嫌となって妹の分の映画代とバス代をくれた。
私が何ヶ月もおこづかいを貯めた額が、一瞬で目の前に現れた。
・・・心の中が、とても空しかった。

でも、映画館で映画を見始めたら、その空しさも徐々に薄らいでいった。楽しかった。
大きなスクリーンを前にして、家から持ってきたお茶を飲んで、楽しかった。
しかし・・・
当時の妹は落ち着きが無かった。映画が始まり、30分もすると大きな声でおしゃべりを始めたり、奇声を上げたりし始めた。
静かにするようにたしなめても、ますますエスカレートしていった。
周りのお客さんから「うるさい」「しーーっ!」「出てけよ」と言われ、私は泣きながら映画館を出た。
何ヶ月もおこづかいを貯めて、この日を楽しみにしてたのに結局映画を見たのは全体の半分の時間にも満たなかった。
悲しくて悲しくて、帰りのバスの中涙を堪えながら帰宅した。
帰った時、母の満面の笑顔が出迎えた。
その顔がまた歪むのが怖くて、喉元まで出かかった恨み言を飲み込んだ。
「楽しかった?」
母の何気ない問いかけに
「・・・うん・・・」
只一言だけ返して、私は自分の部屋へ飛び込んだ。
楽しくなんかない 楽しくなんかない 楽しくなんかないっっっ!!!
声を殺して泣き続けた。

この苦いエピソードの映画を未だに私は最後まで見ていない。
この一件を思い出すたびに、私は自分の人生の上に背負っている妹という荷物を再確認してしまう。
まだ悟りきれずに足掻く心が残っている私は、妹のことが酷く憎くなることがある。
妹を完全に憎く思わなくなる日がくるまで、多分この映画を見ることはないでしょう。
いつかは見るかもしれませんが、今はまだ無理。
もしかしたら、一生完結しないかもしれないけれど・・・



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