か行

河童のクゥと夏休み

制作年度:2007年
監督:原恵一

人間と河童。
異なる種の異なる存在。
現代には伝説、あるいは架空の妖怪である河童。
その河童と一人の少年の出会いを軸に、人間社会の抱える問題点と
失いかけた人としての無償の愛と許す心や少年が抱く甘い恋心。
子供であっても乗り越えねばならない自分の中の負の心。
ひとつひとつのエピソードは感慨深く、観客を引きつける。
『ここが泣かせどころ!』
という場面はしっかりと観客をとらえて泣かせてくれる。
かくいう私もハンカチを鞄から出しました。

しかし、どうも其々の要点がきちんと整理されていないように感じてしまったのも事実。
纏まってはいるけれど、心のどこかでしっくりこない。
納得の出来る解決がどのエピソードにも示されていないように思えるのです。
ジグソーパズルの最後のピースが見つからないような感じです。
絵はもうわかるけれど、完成しないというか・・・

あとね。
この作品好きな人には本当に申し訳ないんだけど、私は主人公の少年にどうしても好感が持てなかったのです。
オッサンのこと、拾ったのはあなたでしょ?
オッサンはあなたを好きだったでしょ?
なのに、あなたはオッサンの最後に涙も見せなかった。
それどころか、クゥのことしか頭に無いような素振り。
私には彼が、只可愛いって言って飼ったペットを次のペットが来たら見向きもしなくなる、おもちゃ感覚で動物飼う人と同じに見えたのですよ。

それから、昨今のアニメに対する毎度の感想。
だからさ、何で声優さんを使わないの?
棒読みセリフに結構しらけながらなので感動が2割減。
アニメは所詮は絵であり、どんなに細かく動かしても生身の人間や生きもののようにはいかない。
俳優はその表情であり、視線でありを使い身体で表現して芝居をする。
その細かな動きに感動を得たりする。
しかし、アニメの制限された動きでは声の演技が全て。
実写のように演者の表情で細かな感情表現を補足することは出来ない。
セリフの抑揚、声の強弱 それらを駆使して観客を魅了しなければならない。声優はそのプロです。なのになぜ俳優を使う?
その結果、素朴と言うよりはのぺっと上っすべりした声に聞こえて興ざめするのです。

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崖の上のポニョ

制作年度:2008年
監督:宮崎駿

なんて表現したらいいんでしょう。
観終わってから、しばらくはまだ夢の中にいるような心地良さでした。
お恥ずかしい話ですが、鑑賞中に少々涙がうるっと…
でも何で涙が出てきたのか自分でもよくわからないんですよね。
ただもう、胸があったかくなって鼻がツンとなって涙が出ちゃったんです。

色々なシーンが、子供の頃の記憶と童心を呼び覚ますんです。
幼い頃に我が家に来た子猫。ちっちゃくて柔らかくてか細く鳴いていた。
私がご飯をあげるの
私が一緒に寝てあげるの
私がいるから寂しくないよ
一人前にナイトか子猫のお母さんにでもなった気分で子猫に接した。
一生懸命に話しかけた。そのうちおしゃべりしてくれるかもなんて期待して。
「誰にも言わないからしゃべっていいよ」
真剣に子猫に言っていたのを思いだしました。

「水の上を歩けたらいいな。」
「このぬいぐるみ、魔法で大きくして背中に乗りたいな」

子供の頃は色々な空想をお菓子みたいに食べて生きていた。
でも、大人になるにつけ理屈だの常識だのに雁字搦めにされて空想でお腹を満たすことができなくなってた。
映画にしてもそう。何も考えず只ありのままを楽しんで見ていた子供の頃と違って
何でこうなるの?
あれはどういう意味?
ファンタジーにも、子供向けアニメにも理由付けと必然を要求しながらの鑑賞をするようになった。
それは間違いではないと思うし、それが必要な作品もある。
でも、この作品は童話。理屈なんていらない。
小さなポニョの冒険と友情のハッピーエンドを楽しめばいい。
「子供の頃、絵本を開いた時のわくわくを素直に楽しんで」
「子供の頃の"~だったらいいな"を思い出してみて」
そう言われている気がしました。

宮崎さんの中ではもっと違うテーマやメッセージがあったかもしれない。
でも私はこの作品を『ありのまま楽しめた』
それだけで
「見てよかった」
と思えます。

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恋空

制作年度:/2007年
監督:今井夏木

純愛小説というと、私はまず樋口一葉の「たけくらべ」か
少々畑違いかもしれないけれどJ・ウェブスターの「足ながおじさん」なんかを連想します。
その感覚で見に行くと、どうにも純愛とは感じられない。
主人公の周囲があまりにもご都合主義に彩られ、生の感情の叫びが響いてこない。
加えて、設定や状況に矛盾点が多くまるで子供向けの恋愛漫画でも見ているようです。
しかし、レイプだの妊娠だの流産だの…内容は子供向けではない。
小学生ぐらいの子供を連れて観に来ていた親子がいたが、見せて大丈夫ですか?と問いたくなった。

私の知人で高校1年の時に妊娠した人がいます。
彼氏は同じ高校の同級生。
両家の親はパニックとなり、口を揃えて出産に反対した。
高校をやめて働く、と映画のように彼氏も言ったそうだが親はそんな彼を殴り飛ばし
「子供が産まれればそれだけ金もかかるんだ。子供が稼ぐ小遣い程度で家庭を持てるつもりなのか!」
と怒鳴りつけたそうです。
結局、ふたりは別れることになり子供も中絶することになりました。
彼女はあれ以来彼氏が出来ても、けして避妊をしないセックスはしないと言います。
何もかも曝け出して身体を繋げることを愛情だと勘違いして死なせてしまったひとつの命を自分の罪として、同じ過ちを繰り返したくないからだと言って。

この作品はガンと闘う患者を扱っている。
私は父を肝臓ガンで亡くしています。その頃既に母は他界しており、妹は知的障害のため
医師からの余命を含めた病状説明も本人への告知をするかしないかも、全て私がひとりで引き受けた。
悩んで、悩んで…
そして悩み抜いた末、父へは医師を交えて告知をし、ギリギリまで自宅に居たいという父を家に連れ帰り逝く数日前までを自宅で共に過ごした。
食事を摂る量も徐々に減り、少しの動作で息切れを起こす。
黄疸による酷い顔色と腹水で膨れたお腹。
私は夜眠るのが怖くなった。
何度も起きだしては父の呼吸を確かめた。
「大丈夫。ちゃんと息してる…」
確かめないと眠れない。
臨終の床で
「○○(妹)のことはちゃんと私がみていくから。心配しないで大丈夫だからね。」
と声をかけた時、既に意識もなくなっている筈の父が流した涙を忘れることは出来ない。
私から見て、作中の病気の彼と主人公の苦悩が描ききれていない気がした。
病室へ平気で持ち込まれている携帯電話にも疑問。
いっそフィクションだと言ってくれれば
「まぁ、作り話だし」
と思えば気も紛れるが、ノンフィクションだという…
ホントに?(疑)

正直言って泣けないし、実は少々腹立たしくも思ってしまった私。
きっと2時間に収めようとして原作をかなり端折っているのだろうと携帯小説を読んでみたのです。
ここで真の衝撃と驚愕!
ビックリしましたよ。実は映画の方が感動作にしようと頑張っているのがわかったのです。
原作のあまりに醜い主人公の自己顕示欲剥き出しの部分や主人公のバカさ加減露呈するエピソードを削ぎ落としてあり、
一見純愛のように『見えそうなレベル』にまでは最大限の努力がされている。
映画単体として見ればはっきり言って私にとっては駄作。
でも、あの原作をとりあえず普通の恋愛映画に見えるように仕上げたその頑張りは評価したいですね。

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グッド・シェパード

制作年度:/2006年
監督:ロバート・デ・ニーロ

この作品、前半はとにかく忍耐を要求されます。
冒頭から観客の興味を引くためのきっかけがあるわけでもなく、
『唐突に始まっている』
という感じ。
過去と現在の時間軸が入り乱れた構成は激しく作品のリズムを崩しているために観客は登場人物やストーリーに興味を持とうという気を削がれてしまいます。
その状態で進んでいく淡々とした展開は正直言って退屈極まりない。
題材が題材だけに展開に劇的な変化を出せるものではないのだろうが、それにしても苦痛だ。
こりゃ失敗したか?なんて心で溜息が出る始末。
しかし、しかしです。

この作品、後半になっていくにつれて主人公の孤独と葛藤と苦悩が色濃く描かれ始めるのです。
裏切られ 罠を張り 罠を張られ
家族を愛し その家族の心に去られ
全てを犠牲にして尽くした国家への揺らぎはじめる忠誠心
他人を信じることが出来ない
自分を信じている者も一人もいない
自身に付き纏う孤独。
この彼の心に引きずられるかのように作品を観ていたら、
いつの間にか作品に没頭し始めていたのです。

前半はとにかく過去と現在の入り乱れた時間軸の演出に自身を慣らすことに専念することと、主人公の周囲の人物のセリフや立場をしっかりと頭に入れる「お勉強タイム」に充ててしまいましょう。
安心してください。どんなに退屈でも後半になれば必ず動きがありますから。その時にこのお勉強が役に立つ筈です。

とはいえ、やはり長過ぎますしお勧めとは言えません。
後半面白くても2度目を観たいとは思えない作品でした。

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キャプテン

製作年度 2007年/日本
監督    室賀厚

原作キャプテンを知らない人や、別物と割り切って見ることが出来る人には良作。
但し、原作を知り尽くし原作と同じ感動を得たい人にはかなり物足りない内容となっていました。私は後者です。

『キャプテン』の魅力は主役の谷口君が頑張りや努力の末成長していき、
頼りなかった彼がいつしかチームを引っ張って、彼に感化されたメンバーもまた成長し弱小チームが日本一のチームと互角に戦えるまでになる爽快感だけでなく、
周囲の人達の成長も描かれている所だと思っています。
その点でいえば、今作品は大事なエピソードを省かれているため酷く薄味な印象を受けたのです。

私的に残念なのは、青葉の監督や選手の心の成長が省かれていたこと。
強豪チームの監督や選手にありがちな『驕り』が墨谷ナインの思いがけない活躍に崩されていく様。
監督に逆らったことなど無いエース佐野が、初めて己の意思で
思いっきり投げたい、彼らと勝負したい、と監督に逆らったシーン。
勝利することが全てで勝てば良いと教えられ従ってきた青葉ナインたち。
だが、我がチームの補欠の更に補欠だった谷口が自分の野球を得て、その全てをぶつけて全力で立ち向かってくる。彼のチームの気迫が恐ろしいと共に、心地よく羨望の気持ちも起こさせる。
自分の意思で自分達の野球で勝つことへの達成感を味わいたいと初めて思った青葉ナイン。
選手を徹底管理していくことで完璧だと思っていた監督が初めて我がチームのナインに全てを託し、彼らが彼ららしく野球をすることの大切さ。
勝利すればナインは満足だと思っていた監督がそれは己のエゴと大きな間違いだったのだと気付くシーン。
私的には重要だと思っていたのでこれらを省かれたのが残念でなりません。

それと、作品に華を添えるためなのか女性の顧問担任を登場させていましたが、かえって作品全体の雰囲気を散漫なものにしていたように感じました。
おそらく、ナインの成長を見守る第三者視点(観客目線)としての役割も担っていたのでしょうが、いわゆるヒロイン的華と第三者視点の役割であるなら新聞部の佐々木にも照明を強めに当てていたので、彼女だけに墨谷ナインの成長記録を撮るカメラとなってもらっていれば作品のリズムも乱されなかったのではと思います。
三角関係の恋愛物(笑)ではないのですから、今作品にはヒロイン2人は多過ぎて観客の感情移入を妨げます。

とはいえ、あの長い原作を2時間でここまで纏め上げたのは素晴らしいと思います。
私自身、もしも原作を知らなければ素直に感動したと思います。
野球が好き 青春ドラマ大好き!
という方には間違いなく良作の部類に入る作品かと思いますのでお勧めです。

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消えた天使

製作年度 2007年/アメリカ
監督    アンドリュー・ラウ

性犯罪登録者の監察官のバベッジは、登録者へ執拗な暴力や暴言を浴びせる。
一見、犯罪を憎むがゆえ、再犯を起こさせないがための牽制とも見て取れるが果たしてそうなのか?

目の前に少女を無残な姿でバラバラに殺害した犯人がいる。
あなたは、小さな塊となった少女に同情し、憐れみ、悪魔の所業に犯人を怪物と呼ぶだろう。
では、あなたは何故怪物だと認識したのだ?
切り刻まれる少女の苦痛を想像したか?
切り刻む犯人の狂気を感じて戦慄したか?
それを認識出来るということは、あなたの中にそれを想像できる闇があるということではないのか?
想像できるということは、行動にも移せるのではないのか?
被害者にもなり、また犯罪者にもなりうる。

登録者への監視を続けるうちに彼らの行動にほんの一点でも『想像出来る』部分を見つけてしまったら…?
そして、それを実行に移せる自分を見つけてしまったら?
人は自分にとって不快なものは排除したくなりはしないか?
自分の中に生まれた狂気を登録者の中に見る。
自分を投影する。
あれは自分だ。己の願望だ。
だが、それは犯罪だ。あってはならない思想だ。
それを排除しなければならない。

「あんたの中にわたしらがいる」
怪物に向かう時は、自分が怪物にならないように注意しなければならない。
自分の中から、天使が消えてしまわないように…

バベッジのギリギリの正気と狂気のせめぎあいを見ている様で
残虐なシーンよりも背筋が凍りつくような感覚をおぼえました。
私にはその辺のホラーなんかよりもずっと
『生身の人間の恐ろしさ』
を垣間見たようで怖かったです。

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怪談

製作年度 2007年/日本
監督    中田秀夫

日本の怪談って
「うらめしや~」
が肝なんだと思うのです。冗談ではなく。

有名な四谷怪談も番町皿屋敷も幽霊となって現れる女には一片の罪も無い。只々、無念のまま殺される。
殺した男は非道極まりなく、恨まれて当然という意識が話を聞いている私達に生まれる。
健気であり、ごく普通の女である彼女らが裏切られ殺されて怨念の塊となって仇の男の目前へと現れるのだ。
「うらめしや~」
彼女達の無念が痛いほど解るからこそ、この世に未練を残すまでの恨みの念を恐ろしく感じる。

けれど、このお話は殺される豊志賀の方にもいくらかの落ち度がある。
嫉妬深く、男を縛る。
そのために恨まれる側の新吉に対して、少々同情めいた気持ちが生まれてしまった。
こうなると怖いという意識が薄れてきてしまう。

では、女の情念の恐ろしさに意識を向けようとしても豊志賀が新吉に溺れ狂気を育てていく描写が少な過ぎて
「このあと女房を持てば必ずやとり殺す」
この言葉も唐突な感情の押し付けに感じて不気味さを発揮しきれていない印象だった。

ふたりの親同士の因縁などのエピソードは無くても良いほど物語への関わり方が薄い。
ここはしっかりと親の恨みの深さを描写して子へと引き継がれているかのような因縁の深さを演出してほしかった。
妹が会話で
「死んだ父さんが夢に出てくるの。」
と言うだけでは物足りない。
ラストも恐怖よりも感動系になってしまってる。
映像は日本の美を余すところなく表現されていて綺麗だし
主演の黒木瞳さんは妖艶で見応えバッチリなんですけどね…

怪談として怖いか?と訊かれたら応えは「いいえ」です。
それから、主題歌はいい曲ですけども今作品の雰囲気には合っていないのでは?と思いました。

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ゴーストハウス

製作年度 2007年/アメリカ・カナダ
監督    オキサイド・バン/ダニー・バン

雨続きでじめじめとした湿気含みの暑さにヒヤリとしたくて見に行きました。
しかし、温度は変わらなかった。
背筋が寒くなってぶるっと身震い出来るのを期待していたのに。

ホラーにありがちな『大きな音で驚かす』
今作品は、これを多用し過ぎたのではないでしょうか。
最初の1~2回は驚きましたが、登場人物の背後からカメラを寄せる。
スローな動作で恐々と様子を窺う登場人物に不気味な音楽を被せて・・・
『!!!ジャジャーン!!!!』←大きな音
この演出を何度見せられたことか。
しかも、大きな音を立てるタイミングも殆ど同じ。
『ああ、そろそろ大きな音が出るな~。あ、出た。』
なんて具合に読めてしまう。
こうなってはもう、怖がれと言われても無理。

ジャパニーズホラーが世界で人気となった背景に登場人物達の緻密な設定とそれを観客に見せる演出や、霊が怨念に至るまでの心理描写等の巧みさにあるのだと個人的には思っています。
ところがこの作品は登場人物を活かすエピソードもなく、
どういう人達でどういう経緯で・・・という観客が知るために必要なものを全てセリフで補ってしまっている。
それが他人事感を強めて、更に恐怖心を薄れさせてしまっていた。

初っ端から前述した『音で驚かす』をバンバン出しつつ霊を出す。
どこがクライマックスかも分からないほどにストーリーは起伏が少なく平坦。
もちろん、登場人物の背景がよくわからないまま話が進んでいってしまうためにストーリーには入り込めず、恐怖心を煽られることなくEDを迎えてしまった。

もう少し登場人物を掘り下げたエピソードを加え、観客である私達に同じ感情を抱けるようにしてほしかった。
音で誤魔化さずにもっと精神的に恐怖を煽るような演出で怖がらせてほしかった。
そうすればストーリーにメリハリもついて、私達観客も登場人物に同化して恐怖シーンももっと盛り上がったのではないかななんて思いました。

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嫌われ松子の一生

製作年度 2006年/日本
監督    中島哲也

この作品は、公開当時に映画館で見ました。
脚本、演出、全てにおいてレベルが高く素晴らしいのは間違いない。
ですが、日々それなりの幸せな生活をしている方にとっては大いに笑えるのでしょうけれど、少なからず何がしかの制約や心に傷を持っている人にはとても正視出来ない程の鬱な気分になる危険性も含んでいます。
私にとってはこの作品は後者でした。
素晴らしい作品です。だからこそ2度と見ることが出来ない。リアル過ぎて自分の感情をコントロール出来なくなるのです。
松子にリンクし過ぎたのが原因です。
言い換えれば、それだけ他人の感情を呼び覚ますこの作品は完成度が高いということなのでしょう。
以下、非常に暗い文章が続きます。そういうのがダメな人は見ないでスルーしてください。



「きょうだい児」という言葉をご存知だろうか?
障害を持つ子、病弱な子。その子らのきょうだいのことをこう呼びます。
親の関心は常に手のかかる子へと向き、きょうだいの方は愛情を充分に与えられずに育つために心に負担を抱えたまま成長します。
私は松子をファザコンというよりは典型的な「きょうだい児」と見てしまいました。
実は、私自身が「きょうだい児」だったからです。
とある福祉関係者の方から言われるまで、私も知らない言葉でした。
松子の家族環境と松子が幼い頃から抱いていた親に対する感情が微妙に私自身とリンクしてしまうのでそこでまず胸が痛んでしまった。
松子の妹は病弱で寝たきり。親はその妹にばかり関心が行き松子はいつも淋しかった。
私も妹が知的障害者で親は妹にかかりきり。私はほったらかしだった。
松子は何とか親の気を引こうと親の望む学校、成績、職業 必死で合わせてた。
私も常日頃から妹は可哀想、お姉ちゃんなんだからと親からも他人からも言われて必死で『いい子』になっていた。
お父さん、見て。私も愛して と必死な松子
私だって淋しい 本当は我が侭言って泣きたかった。『いい子』なんかやめたかったのに。
もうね、初っ端から松子とシンクロしちゃってスクリーンから目を逸らしたくなっちゃって・・・
松子が妹を一瞬殺しかけた時は自分を見ているようでキツかった。
私自身、何度も妹さえいなければと思ったことがあるのです。
そんな自分が恐ろしくて嫌悪して、自分が死にたくなったりもした。
他人が聞いたら、凄く薄情に聞こえるだろうことは解ってます。
でもね、障害者のきょうだいって多かれ少なかれ一度は思っているものです。
兄弟に障害者が居ない人には絶対に解らない感情です。
幼い頃から周囲にかけられる
『障害者のきょうだいの将来を背負う義務』
というストレスとプレッシャーはとても辛いんです。
時々、とてもとても疲れるんです。
けれど、こんなこと思っても、妹が可愛いという感情も嘘じゃないんです。そのジレンマに自分自身が一番苦しんでます。
松子が妹に感じた殺意に苦しむ姿は私にとっては心の拷問ですらあったのです。

松子の一生 もしも妹が病弱でなかったら
親の関心と愛情を与えられていたら
もっと違う結末だったのではないだろうか?
全てはこれに尽きてしまう気がして余計に重くなってしまいました。

傑作です。でも、私にはもう2度と見ることが出来ないのです。

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ゲド戦記

製作年度 2006年日本
監督    宮崎吾朗

なんとまぁ、間が抜けた作品に仕上がっていること…正直、溜息しか出てこないってのが素直な感想です。
昨今、ここまでテーマを長々説明セリフでやり過ごすのも珍しいんじゃなかろうか?
演出で客に悟らせる技量が無いのかわざとなのか知らないけど。
(観たところ、前者の気もするが)
そしてまた、テーマが『命』だとして
(つか、これで合ってる?と自分で不安になる。赤裸々にセリフで言ってるからフェイクなのかと疑ってしまう)
この程度にしか語れないってどうなのよ?原作がこうなの?この程度は大抵の人が既に解ってると思うけど?
そんなものを今更説教くさく語られてもだから何?ってな感想しか抱けないんだけど。
仮面ライダーとかで語られてる程度の幼稚っぽさを感じたってのは言い過ぎか?(笑)
いや、当たり前に皆が認識していることに一石投じて、心揺らしてから語られるなら納得もするし、再認識するということにこそ映画として面白さが出るのだろうから、全て演出、シナリオの失敗なんだろうな。
世界の均衡が崩れるだの壮大な風呂敷広げておいて、魔女1人やつつけておしまい。
魔女の目的は『不老不死』 …世界の均衡崩すのとどう関係があるんだよ?
しかも、魔女はヒロインが竜に変身炎でゴーであっさり退治。
話ちっちゃいな、おい。どこで感動すりゃいいんだ?
父親を殺す動機が自分自身の不安だけ?なんちゅーエゴイスト。
それとも世界の均衡が崩れてるから不安が増幅?なんちゅー安直さ。
テルーに人嫌いにするくらいの命に対するポリシー語らせるならその背景を描いてくださいよ。
音楽が良かったのがせめてもの救い。
只、テルーが謳うシーンでももう少し魅せ方考えろよとは思ったけどね。

『材料だけなんとなく判ってるけど調味料がでたらめのごった煮』
ジブリゲドはまさにこんな感想しか私は持てない。
で、原作知ってる人には
『原材料の名称、原産地も判ってるけどどうしてこれでお鍋にするの?おでんの筈なのに』
こんなところでしょうか。

私的にはジブリに対してはハウルの時から見切りをつける機会を窺ってる状態だった。
でも、駿監督のストーリーの緩急の付け方と観客を飽きさせない演出や視覚の楽しさでまだ一級の品質を保ってきてた。
しかし、息子さんの作品は二級品どころか三級品。
そもそも、ど素人を監督にする時点で間違ってたんだろうなぁ。
せめて脚本の経験くらいあったらもう少し何とかなったかもだけど。
あの場つなぎの支離滅裂さは自分でストーリーを作るという経験は皆無だったのではと思えてくる。
はっきりいって駄作だった。

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クィーン

製作年度 2006年イギリス/フランス/イタリア
監督    スティーブン・フリアーズ

何だか、私にレビューしきれる作品ではないかも…
勝手な解釈、私見が入り乱れて読みづらいかと思いますが、ご容赦ください。

神を信じているわけではないけれど、もしもいるのならば
神とは「公平であるだけ」と私は考えています。
目に留まった特定の者にだけ恵みを与えていては均衡が崩れてしまう。

女王には選挙権は無い。
彼女は常に公平であらねばならない。
特定の人物のみに意見をすること。慈悲をかけること。
公共の場で自分の心を曝け出すことは国を乱れさせる元となる。
古いしきたりにとらわれているように見えても、それを守ることにより
多くは語らずとも国民を見守り、愛し、誠心誠意尽くして治めているのだと国民は感じてくれていると思っていた。

しかし、文明の発達に伴い人々は実際に目に見える物こそ真実だと思うようになった。
TV報道、インターネット。
語らない人物よりも表だって動き、身近に感じる者にこそ親しみを感じるようになっていく。
側近がダイアナを素晴らしい母君だと褒めた時に女王は
「とりわけ、カメラの前ではね」
と皮肉のように言います。
彼女自身、今の時代が派手なパフォーマンス主流であるのは感じていたでしょう。
しかし、長年治めてきた我が国民が表面的な物にしか目を向けないなどとは思えないし、思いたくなかったのだろう。
主相の助言にも耳を傾けようとはしなかった。彼こそが今の国民の姿を的確に捉えていたのに。
日に日に高まる王室批判。戸惑う女王。
この辺りの女王の心理描写や主演のヘレンの表情は見事です。

年月を重ね、美しく成長した鹿を見た女王。
初めて、彼女は涙を流す。感情が溢れ出す。
女王にとってあの鹿は王室そのものに見えたのかもしれない。
しかし、結局鹿はハンターの手により狩られてしまう。
そこに女王は古い体制の終焉でも感じたのだろうか…
そして女王は決心する。しきたりを破り、国民の前でダイアナへの追悼の言葉をのべて国民の前で悲しみを表現することを。
公平であらねばならないが、国民にわかりやすく表現するパフォーマンスも今の時代では必要。国民が変わりつつあるのだから。

ラストに彼女は開かれた王室を示したことに、ほんの少しの不安を主相に明かす。
「王室は侮辱されたのではなくて?」
開かれた王室 それは威厳を失わせ、結局は王制への廃止に続く道でしかないのでは?
主相は否定します。国民は王室を愛していると。
あの花束の山の前、ダイアナにではなく女王にだと花束を手渡した少女。
国民に近く、親しみやすい開かれた王室の女王として新たな道を歩み始めた女王にとってあの少女は望みの象徴かもしれない。

フィクションではありますが、そのリアリティと練りこまれた一人の人物の描き込みにとても興味深く見ることが出来ました。
現存している人間、それも女王と王室というデリケートな題材をよくもこれ程に描きあげたものだと感嘆しました。
ストーリーは淡々と進みますが、私は全く飽きることなくスクリーンに釘付けになっていました。

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ゲゲゲの鬼太郎

製作年度 2007年日本
監督    本木克英

何が良かったって、猫娘の田中麗奈ちゃんの可愛いことといったら。
ごめん、真央ちゃん。私にとってヒロインは猫娘。
猫娘の鬼太郎への一途な気持ちが滲み出てて、もう・・・
きゅーーーーーって抱きしめたい。
猫ダンスの可愛さもコミカルさも牙剥き出し猫目戦闘モードも何もかも、むっちゃ好きじゃーーーっ!!!
くそうっ 彼女の気持ちをわからない鬼太郎の頭をペンってはたきたいっっ!
・・・すみません。なんかもうここまで語って満足するくらいに彼女は私を捉えて離さない。
おかしいなぁ、確か公開前はポスターのカッコいいウエンツ鬼太郎が見たかった筈なのに。

いやいや、真面目にレビューしましょう。
この作品の成功はひとえにキャスティングの絶妙さにあります。
元が漫画な場合、やはりそのイメージにピタリと嵌らないと違和感のみに付きまとわれて物語に入り込めないというリスクがあります。
その点、この作品は大成功だと個人的には思っています。
誰一人としてミスキャストがいない。これってスゴイですよね。
OPのお馴染みのあの歌と映像は子供の頃に怖くて布団を被りながら見ていた、不気味で、でも興味をそそられたあの世界を見事に表現してくれました。

脚本はやはり子供向けということもありベタで分かりやすく単調です。
盛り上がるほどのドラマでもないし、恋愛要素もほんのり香る程度。
大人にはかなり(というか激しく)物足りないのですが、
各俳優さんたちの怖いくらいのハマリ演技に最後まで一気に魅せてくれます。
少々、ウエンツくんの下手さが気になるものの他の役者さんたちに上手くカバーされてて、それすらも鬼太郎の味なんだと感じさせてくれます。

大人には懐かしいあの妖怪達を最新のCGで立体的に見れる感激。
子供にはドキドキわくわくのの和のファンタジー。

難しいこと考えないで、一緒に妖怪の世界を楽しんでしまいましょうよ。

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銀色の髪のアギト

製作年度 2005年日本
監督    杉山慶一

OPはとても良かった。観客の心を異世界へ誘い込むには充分な迫力。
これから繰り広げられるであろうドラマへの期待が高まっていく。
でも、よもやOPだけが良かったなんて…

この作品の決定的な弱点は登場人物たちの相関関係の描き方の希薄。
各人の性格付けのいい加減さにあります。
特に重要な主人公アギトとトゥーラが惹かれあうまでのエピソードが少な過ぎ。というか、全く描かれていない。
あれでは自らを死ぬかもしれない強化人間にしてまでトゥーラを取り戻そうとするアギトの気持ちが理解出来ない。
彼が何でそこまで彼女に惹かれたのか解らないと彼が巻き込まれることに説得力がなく、登場人物がみな、物語の為に動かされているかのようで感情移入が出来ないのです。
よって、全体的なドラマ性にも薄っぺらい感覚を与える。
印象に全然残らないし、余韻ってものが全く無かった。
パンフには『一目惚れ』との記述があるが、その一言で説明するには無理がある。

ご都合主義的な展開も実はかなり気になった。
描きたいシーンがまず最初にあって、それからそのシーンへ移行するための取って付けた感が否めないような無理矢理な展開。
だいたいが『自然と人の共存』というテーマは今までに色々な人が手がけてきた題材。意外性が無いと
「あ~ どっかで見た展開~」
となりかねない。というか、
「あ~ アレとあの作品とあいつをインスパイヤ~?」
なんて感じるあたりが既に…
おかげさまでというかなんというか、私は途中からラストが予想出来てしまった。
あまりにラストがベタ過ぎて拍子抜けしたというのが正直なところ。
世界観がなかなか面白いだけに非常に惜しいとしか言いようがない。

あと、話題作りに旬の俳優を使うのも一つの戦略なのかもしれないけれどああまで棒読み披露されてはかなり興ざめ。
(某スタジオがやり始めてから増えてきたこの戦略。私的には非常に疑問が残ります。)
キャスティングもちょーっとミスったかな~?
50歳目前のキャラが少年みたいな高い声でしゃべったらマズいだろうに(苦笑)
完全に顔と声が一致していなかったよ。ついでに演技も下手だったよ…

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