嫌われ松子の一生
製作年度 2006年/日本
監督 中島哲也
この作品は、公開当時に映画館で見ました。
脚本、演出、全てにおいてレベルが高く素晴らしいのは間違いない。
ですが、日々それなりの幸せな生活をしている方にとっては大いに笑えるのでしょうけれど、少なからず何がしかの制約や心に傷を持っている人にはとても正視出来ない程の鬱な気分になる危険性も含んでいます。
私にとってはこの作品は後者でした。
素晴らしい作品です。だからこそ2度と見ることが出来ない。リアル過ぎて自分の感情をコントロール出来なくなるのです。
松子にリンクし過ぎたのが原因です。
言い換えれば、それだけ他人の感情を呼び覚ますこの作品は完成度が高いということなのでしょう。
以下、非常に暗い文章が続きます。そういうのがダメな人は見ないでスルーしてください。
「きょうだい児」という言葉をご存知だろうか?
障害を持つ子、病弱な子。その子らのきょうだいのことをこう呼びます。
親の関心は常に手のかかる子へと向き、きょうだいの方は愛情を充分に与えられずに育つために心に負担を抱えたまま成長します。
私は松子をファザコンというよりは典型的な「きょうだい児」と見てしまいました。
実は、私自身が「きょうだい児」だったからです。
とある福祉関係者の方から言われるまで、私も知らない言葉でした。
松子の家族環境と松子が幼い頃から抱いていた親に対する感情が微妙に私自身とリンクしてしまうのでそこでまず胸が痛んでしまった。
松子の妹は病弱で寝たきり。親はその妹にばかり関心が行き松子はいつも淋しかった。
私も妹が知的障害者で親は妹にかかりきり。私はほったらかしだった。
松子は何とか親の気を引こうと親の望む学校、成績、職業 必死で合わせてた。
私も常日頃から妹は可哀想、お姉ちゃんなんだからと親からも他人からも言われて必死で『いい子』になっていた。
お父さん、見て。私も愛して と必死な松子
私だって淋しい 本当は我が侭言って泣きたかった。『いい子』なんかやめたかったのに。
もうね、初っ端から松子とシンクロしちゃってスクリーンから目を逸らしたくなっちゃって・・・
松子が妹を一瞬殺しかけた時は自分を見ているようでキツかった。
私自身、何度も妹さえいなければと思ったことがあるのです。
そんな自分が恐ろしくて嫌悪して、自分が死にたくなったりもした。
他人が聞いたら、凄く薄情に聞こえるだろうことは解ってます。
でもね、障害者のきょうだいって多かれ少なかれ一度は思っているものです。
兄弟に障害者が居ない人には絶対に解らない感情です。
幼い頃から周囲にかけられる
『障害者のきょうだいの将来を背負う義務』
というストレスとプレッシャーはとても辛いんです。
時々、とてもとても疲れるんです。
けれど、こんなこと思っても、妹が可愛いという感情も嘘じゃないんです。そのジレンマに自分自身が一番苦しんでます。
松子が妹に感じた殺意に苦しむ姿は私にとっては心の拷問ですらあったのです。
松子の一生 もしも妹が病弱でなかったら
親の関心と愛情を与えられていたら
もっと違う結末だったのではないだろうか?
全てはこれに尽きてしまう気がして余計に重くなってしまいました。
傑作です。でも、私にはもう2度と見ることが出来ないのです。
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